パンダまん発売の経緯
代表の尾田多美江は横浜生まれ、小中高を日本の学校を経て
ビジネス系専門学校を卒業後、横浜プリンスホテルに就職。
一身上の都合で退職後オーストラリアでワーキングホリデーを楽しむ。
帰国後、23才で老維新に務め始める。
中国人祖父の家でもあり営んでいた中華街の雑貨店、
老維新で小学生からタバコ番をするなどしてお釣りを計算するのが好きだった。
半年働くも再度残りのビザを使い切りたいと8ヶ月オーストラリアへ戻るも
現地滞在中に母親に商売が大変なので帰って来てほしいと連絡があり、ビザが切れると日本に戻りすぐ
老維新に務めた。 当時、バブルが弾け商売は大変であったが給料を2年もらわず手伝った。
店を手伝うなか徐々に売上があがり、仕入れも任され、本人の好きだったパンダグッズが棚に増えていった。
当時はパンダグッズを売る店は少なく、パンダグッズの品揃えは中華街一を自負していた。
母の代から始まった肉まん販売だが、他にも10軒以上の肉まん販売店があり、
差別化を図りたいとパンダの顔のまんじゅうの試作を弟の尾田晃一氏に依頼する。
当時、中華料理の老舗「明楊」で点心師をしていた晃一氏はチョコレートカスタードが美味しいとサンプルを作ってくれた。
味見をした家族は皆、その美味しさに「これは売れる!」となり1995年に発売開始した。
当時顔のある中華まんはどこにもなく、たちまち大ヒットし、今では老維新の看板商品となった。
2019年のコロナで観光客が激減し、売上はゼロの日も続いたが
毎日店に立つも、お客がいないのですることもなく、雑談をする中で新しいキャラクターまんのアイデアが次々にでた。
それを晃一氏にサンプル化してもらい、次々に新しいまんじゅうを少しずつ売り始めた。
コロナが明け、カラフルなまんじゅうで埋め尽くされたセイロに撮影するお客様が多くいらっしゃり、
日々SNSにてご紹介頂けるようになり今に至る。